調査研究

「悪役」山縣有朋、日本近代史で再評価
実は愚直で優しい性格だった。

明治、大正時代の最大の「悪役」のイメージがつきまとう、山縣有朋を見直す動きが相次いでいる。日本陸軍の実力者として富国強兵策を推進した山縣は、藩閥・軍閥の巨頭、政党政治への抑圧者、昭和陸軍暴走の遠因など近代日本の「負」の象徴ととらえられてきた。しかし実際の出兵には常に慎重派で、対欧米協調を基本とする外交路線など現実的な政治手腕を再評価する声が出ている。

卓越した外交リアリスト
学習院大学の井上寿一教授は「山縣有朋と明治国家」(NHK出版)で軍事リアリストとしての山縣を描いた。松下村塾、奇兵隊で幕末を戦った有朋は近代兵器の威力を身をもって知っていた。一生を通じて陸軍の軍備増強を目指し続けたが、井上教授は「日清戦争から大正のシベリア出兵まで軍事力行使には常に慎重な立場を取った」という。

さらにアジア外交では孤立を避けるため、最初に欧米との協調路線を構築することに心を砕いた。山縣は批判的な視点も持つ冷徹な欧米文化の観察者。第1次大戦後の米国の台頭をいち早く見抜くなど「卓越した外交リアリスト」(井上氏)の面を分析した。「陰険な権力主義者」という個人イメージを覆したのが京都大学の伊藤之雄教授だ。「山縣有朋」(文芸春秋)では吉田松陰、高杉晋作、西郷隆盛らに愛され信頼された理由を解き明かした。愚直で優しい性格を併せ持ち「自分の利害や人気を勘定に入れず、やるべきだと考えることを全力でやる」新たな山縣像を提示した。同世代の伊藤博文らにも共有していた感覚という。

明治前期に盟友関係にあった伊藤とは後期には一転、政党政治への対応を巡り激しく対立する。新党結成や政友会総裁の就任など推進派の伊藤に対し、山縣の政党不信は根強かった。 国学院大学の坂本一登教授は「伊藤がいなかったら藩閥政府は既得権益の牙城となり、山縣が望む改革すら阻んだだろう」と見る。 藩閥政府の硬直性を揺さぶる伊藤の存在は不可欠だった。最大のライバルである山縣はそのことを理解したうえで、伊藤からの感情的な非難に対しても譲るべきところは譲ったと分析している。

幅広かった関心領域
山縣に読書人としての新たな一面を見いだしたのが国際日本文化研究センターの滝井一博准教授だ。軍事関係と官界の派閥運営にしか興味の無かったような従来の印象を一新した。

「本」(2010年9月号、講談社)で滝井氏は、神奈川県小田原市立図書館の「山縣公文庫」を調査した結果をまとめた。ドイツ関係の書籍などに多くの傍線や書き込みが施されていたという。伊藤のように自ら洋書を読むことは無かったが、訳書を渉猟し、重要な事柄を翻訳させたこともあった。「山縣は社会福祉、教育改革の研究チームも個人的に立ち上げていた」(滝井氏)。最新の政治、政策論を幅広く吸収しようとしていた一面を強調する。

「山縣研究」 背景に現代政治の迷走
西郷や坂本竜馬、大久保利通ら幕末、維新の英傑に比べると、山縣や伊藤らの世代は関心が一段落ちる。それでも新研究が相次ぐ背景の一つには、政権交代後も続く現代政治の迷走がありそうだ。滝井氏は「伊藤は時勢に対応しながら大局的に判断、決断する知の政治家の資質を持っていた。山縣も晩年は政党政治家の原敬の路線を認めるなど、柔軟な姿勢を取るようになった」と評価する。一方、「今日の日本の政治は一つの権力闘争が終わるとすぐ次の権力争いが始まる。奪取と維持が目的化している」と批判する。学習院大の井上氏は権力リアリストとしての山縣に注目する。明治期の東アジア情勢は緊張していた。大陸には内部に大きな矛盾を抱えながら海軍力を拡充する軍事大国の清があり、朝鮮半島は党派抗争で不安定な状況だった。軍人勅語、参謀本部の独立、統帥権など、山縣が主導した政策・制度は今日、多くが批判の対象となっている。しかし井上教授は「山縣は自らの権力を持て余したり、ためらったりすることはなかった。近代国家にとって必要と考えた政策を迷わずに実行した」と一定の評価を与えている。(電子整理部 松本治人)